鹿島神宮から香取神宮、おまけで灯台と堰をめぐる春ドライブ

今日は勝浦灯台が一般公開されるので楽しみにしていたのだが、前日になってカミさんが「私をどっか連れてけ」と。。。たんにバイクをやめて車で勝浦まで行けばよかったのだが、千葉方面に車を進めるうち鹿島神宮に行きたい(弓道をやっているので武神のお守りが欲しい)と言い出した。気弱でカミさん思いの私は車を東関東道方面に・・・後でやはり後悔しました。勝浦灯台の一般公開は点灯100周年記念にちなむものなので来年は無いのではないか・・・あぁー。

 鹿島神宮はまだ子供が小さい頃に来たことがあるのだが、当時は余裕がなかったのでお参りどころではなく、境内は覚えていない。ただ駐車場だけは覚えていた。


古くこの霞ヶ浦周辺には幾筋もの川が流れ込み、もっと巨大な湿地帯・湖を作っていたといわれています。

 こんどは鹿島灯台に来ました。
ここは岬や海岸ではなく、海からかなり離れた丘の上に立っています。周囲は多々の空き地。



海近くに下りてきました。こんな感じ。

遠く鹿島臨海工業地帯。
鹿島灘を見つめる。

利根河口堰

ここは利根川の他、常陸利根川(霞ヶ浦より)の合流地点。
川幅全部堰き止めるにはこれだけの水門が必要ということですね。

この堰は太平洋の海水が遡上するのを防ぎ、塩分濃度を低く抑えるという役割も果たしているそうです。ですから霞ヶ浦は現在はほぼ淡水なんだとか。
小舟が航行できるような運河がついています。



初めて香取神宮に来ました。こちらも武芸と深い関係がある神様。

鹿島・香取両神宮とも、古くより朝廷からの崇敬の深い神社である。その神威の背景には、両神宮が軍神として信仰されたことにある。古代の関東東部には、現在の霞ヶ浦(西浦・北浦)・印旛沼手賀沼を含む一帯に「香取海(かとりのうみ)」という内海が広がっており、両神宮はその入り口を扼する地勢学的重要地に鎮座する。この香取海はヤマト政権による蝦夷進出の輸送基地として機能したと見られており、両神宮はその拠点とされ、両神宮の分霊は朝廷の威を示す神として東北沿岸部の各地で祀られた。  以上Wikipediaより
神社の格では最上級だそうです。また藤原氏と関係があり、朝廷(天皇家)との関わりも強いことがうかがえる。
というわけで、勝浦灯台の内部見学はいつできるでしょうか???